名称定義から推測される偽神
(簡易版)

私が偽神の研究を始めたのは今より30年以上も前の事であった。
偽神が人間、またはそれに準ずる知的生命の種族において、脳内で発せられる感情。一般大衆や各研究文献において多用される【夢】【願い】に対して自然物であるエネルギー源「ヴィータ」を用いて具象化する超常現象である事は世界各地に存在する研究機関と該当する専門分野の者達にとっては周知の事実である。
私も社会学による大衆の感情思念と生体器官由来の磁波の強弱、出力による自然環境の影響。つまり【偽神の発生しうる社会環境】について今日に至るまで研究を行ってきた。

しかし本書では私の研究分野から僅かに外れ【名前】から私が個人的に推測した内容を述べる事になる。本来の研究と違うが長年の研究活動において感じた事を綴る。

私の種族は探求心により一分野において集中的な研究及び蒐集を行う者達として他国では周知され、特にアンリブルプの生体研究機関で多くの著名な研究者を輩出している。(残念ながら私はダルダロアでの研究に就くしかなかったが)「探求する者」として知られこの世に存在するあらゆる事象を、物理的説明が可能な「原理」を導き出し、その為に世にあるあらゆる神への信仰は持たないという一面も持っている。

我々の種族に対して一事象の原理に於いて【神】という定義づけは一つの諦念の意思の現れである。大きな前提として他国による信仰から生まれる文化を否定しているわけではなくこれ等も幸い広く知られている所だ。

リュドグランカより生まれた我々の先人達は何故、こうした探求に生きる者でありながら此れを【神】と定義したのか。かの時代では【偽神】を物理的事象で定義する事は不可能だったのか。もしくは我々(最低でも私)より思慮深い先人達は此れの真実を後世に残す事は懸命でないと判断したのか。またはこの世界の価値観ですら及ばない圧倒的な神の存在を知っているのか、もしくは知ってしまったか。長年に存在する我々には考えも出来ないような想像を絶する【神】を先人達は知ってしまったのだろうか。自らの肉体を贄としても追い求めるという魂を削るような探求、其れさえ霞むような。

(中略)

私もしがないながら探求者の一人である。しかし私が求める所はもっと小さく人の世、浮世の世界の人間達に今でも研究の目を向けている。先人達が行きついた真実にいずれ私もたどり着くのだろうか、其れともコレは私の妄想であるのか。多くは後者を指示する筈だ。しかし万に一つでも辿り着いてしまう【事実】がある。その可能性があるのであれば私のこの妄想は何時までも続く事になるだろう。


-プレオンタンド・プルトニアム-